45回目の誕生日を迎えて思う「思いやり」の気持ち

〜子供が能力をまっすぐに伸ばせる社会を目指して〜

2014年12月25日

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12月24日は自分に取ってはとても不思議な感覚の日です。


自分の誕生日だけどクリスマスであり、皆が祝う日でもあります。

子供の頃はクリスマスプレゼントと誕生日プレゼントは一緒でプレゼントは年に一つ。


でも、好きな人と結婚し、子供が生まれ、家族を持ってからは最高の誕生日を毎年更新しています。

そんな12月24日を過ごせる最近は、クリスマスであり、自分の誕生日でもあるこの日を家族と幸せに過ごせることへ感謝する日になりました。


そんな45回目の誕生日を迎えて思う事は「思いやり」の気持ちです。


自分自身、そんなに立派な人間ではなく、日々刻々と流れている時間の中で常時思いやりの心をもって生きているかと言われればそんなことはなく、偉そうなことは言えないのですが、皆がちょっとした思いやりを持って生きればどんなに世界が違うだろうなと思う事が最近よくあります。


たとえば、誰かを攻めたくなる時にちょっと相手の気持ちや立場、これからの人生を考えてみたりするだけでも違うのではないだろうか。

小保方さんの一件などはそんなことを強く感じさせる出来事でした。

難病で苦しんでいる人のために強い思いを持って取り組んでいる若者に対して、どうしてあそこまで非難する必要があるのでしょうか。


これまた私も偉そうな事はいえないのですが、どうも、今を生きる我々はなんでも欲しがり過ぎなような気がしてなりません。

物欲はどこまでも留まらず、持てる者は持たざる者を顧みず、既得権に執着し続ける。

また、物欲に留まらず、自らの精神的な満足感も追求し続ける、ときにそれが自分以外の誰かを不幸にする結果になったとしても。


大人はいろいろなしがらみの中で生きているため、多くのフィルター越しに物事を見ており、純粋に物事を見る事がむずかしくなっていると思いますが、子供たちはまっすぐに物事を見ます。


そんな子供たちが小保方さんの一件をみたらどう感じるでしょうか。

科学者を目指したくなくなるのではないでしょうか。


少子化と言われていますが、その背景には、自分の事だけを考え、分かち合う思いやりの気持ちのない大人達が作る社会に失望した若者の気持ちの現れがあるのではないでしょうか。


大人には子供を育てる義務と責任があると言います。

それと同じように先人は後人を育てる義務と責任があると思います。

先人は後人を信じ、任せることで後人を育てるための環境を作り、立ち上がるまで守るべきではないでしょうか。

それが、社会における縦の関係のあるべき姿であり、思いやりの気持ちの表し方ではないでしょうか。


小保方さんの一件でいえば、小保方さんの上司や会社こそ小保方さんを守るべきでだったのではないでしょうか。

それが小保方さんという若い科学者を育てることではないでしょうか。


企業の中では業績が悪くなったら下から切っていくのではなく上司が部下を守り、会社が社員を守るのがあるべき姿ではないでしょうか。

また、業績が悪くなってもリストラしなくてすむようにチャンスに飛びつき組織を膨張させるのではなく堅実で地に足の着いた事業計画を立て、執行していくことが経営者の役割であり、共に戦う会社の仲間への「思いやり」ではないでしょうか。


私が会社を興した理由には、このような社会構造を逆転させたいという思いがあります。

まだまだ、豆粒ほどの影響力もない会社であり、個人ですが、この思いをいつまでも忘れずにいつでも「思いやり」の心をもった個人であり、夫であり、父親であり、友であり、先輩でありたいという思いをより一層強くした45歳の誕生日でした。