最近、企業において人を育てるということが非常にないがしろにされている気がする。
私が社会人になったのはもう20年近く前になるが、その当時は会社が育てようと必死であることを感じた。
入社後3週間に渡る合宿研修を行い、同期とのつながりや社会人の基礎、会社の事業の基礎知識を叩き込まれた。その後は半年間地方支店で実地研修があり、そこで現場の人と知り合い、現場の仕事を体感することを通して会社の文化や仕事内容を理解していく。
更にその後の2年半は育成期間として配属先で3年間の目標設定やその後の配属先などを自分なりに考えることを一人一人にあてがわれる育成担当と一緒に二人三脚で進めていく。
新卒であるため長く取っているわけではあるが足掛け3年かけて社員一人一人を育てていくのである。
しかし、そんな私でもその当時はなぜこんなに長々と研修、育成をするのだろうか、それなら早く配属して現場での経験を通して学ばせればいいじゃないかと思っていました。
しかし、今振り返るとこの当時の経験が自分の血となり肉となっています。
これこそ急がば回れ、人材は一朝一夕には育たないということなのだと今は痛感する。
今思うと3年間誰かか見てくれていたことが大きいと思います。
今の状況を見ていると皆自分の仕事をするので一生懸命でひどい場合には隣で何をしているか知らない場合もあります。
また、与えられた仕事の結果のみを見られ、その人の目標やそこに向かうための成長過程などはほとんどの人が見ていないのだと感じます。
自分を見ている人がいるというのは会社への大きな信頼感に繋がり、その信頼感が個々の能力を引き上げ、最終的にはロイヤリティーに繋がると思います。
次に思うのが会社としての一体感です。
入社時点で多くの職場を経験することを通して、会社の仕事の幅に対する理解が広がると同時に会社にいる種々雑多な人種と触れ合うことを通して、非常に当たり前ではあるが人はそれぞれ違うことを知ります。つまり多様性の許容です。
つまり、入社時点で会社の仕事と人材を理解するため、おそらく会社の経営について考えるに充分な情報が与えられていたのだと思います。
人を育てるということは、「人と人との信頼関係の構築」と「会社のことを考えるに必要な十分な情報の提供」であり、その結果のアウトプットは会社をリードするロイヤリティーの高い人材の輩出なのでしょう。
そして、そのような人材を継続的に輩出することによってのみ会社は新しいことに挑戦しつづけ、継続的に成長し、社会に貢献していくのだと思います。
今の多くの会社は情報化社会の恩恵によりほぼリアルタイムに多くのことを知るがゆえに、すべての仕事に対してスピードを求められます。
そのため知識と経験を持っている人が「考え」、考えられた計画をその部下はただ実行するようになりがちです。
それには、上記で記載したように時間をかけて人を育てること自体が現在のスピード感にそぐわないため実施していない会社が多いという背景と、育成を怠っていることから社員一人一人が「考える」に必要なベースの知識を持っていないということがあると思います。
同時に経営者やその周囲の管理者自身がスピードについていくに必死で、部下に「考える」時間を与えられないという理由もあるのだと思います。
しかし、人は自分で「考える」ことを通してしか成長しません。
また、「考える」というプロセスは自分なりの「信念」を作るプロセスでもあると思います。
つまり、「考える」習慣をなくした人は、自分の信念が確立しないため、軸がぶれ、無気力になり、目的、目標もなく流されていくことになると思います。
われわれは今のようなスピードに追われ、人と向き合わず、育てることもせずに日々の仕事をしていることにより信念のない人材を生み出しているのではないでしょうか?それでいいのでしょうか?
私は、今の若者が無気力で目標がないという報道を見るにつれ、それはわれわれの世代もしくはその上の世代が生み出したのではないかと思えてなりません。
一事が万事、学校で先生が生徒に接するとき、親が子供に接するとき、上司が部下に接するとき、そのときが真実の瞬間であり、そのときにしっかり相手と向き合い、相手の立場になり、信頼関係を築き、人生の先輩として相手にプラスになることは何でも伝えていくことが大事なのではないでしょうか。
そのためには人との接し方、その元となる時間の使い方、仕事の仕方を考えて生きていきたいと思う今日この頃である。
2011年3月25日
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