親父の本心

〜息子から見た親父〜

2005年7月18日

家族四人で話をするのは1年ぶりだろうか。
前回は姉の泥酔と愚痴の中で終わり、どことなく後味が悪い家族団欒になったが、今回は姉も自分の人生の目的、目標を取り戻し、それに呼応するように精神状態も安定し、コミュニケーションが取れるようになった。


それよりも今回驚かされたことは親父の話であった。
会うごとに親父は、優しく、思いやりのある側面を見せていたが、どことなく意識的に威厳を保とうとしている感もあった。
ところが今日は雪が解けるようにそういう一歩間違うと恫喝にもなりかねない厳しい側面をまったく見せることなく、ひたすら素直に、自分の考えを伝え、自分の非を認め、ともすると自分のプライドまで傷つきかねないことであっても進んで話をしだした。
年をとるとは許すこと、求めることなのだろうか。
母は昔よく親父は子供が嫌いで抱くこともしなかったと言っていたが、そこに非常に親父らしい意外な事実があることを今日は話してくれた。
 親父が子供を抱かなかったのには理由があり、それは赤ん坊の抱く方が分からず、怖かったという。
また、やはり俺たち子供に厳しくしていたのは、一家の大黒柱としての自分自身の威厳、精神力を保つためだったという。
母や、姉は「だったらXXXすればよかったのに、それは違うじゃない。」と否定的なことばかりを言っていたが俺はその言葉を素直に受け入れたい。
65年間遮二無二生きてた人間の言葉はそんな軽くない。